2018年7月31日火曜日

僕の「白山高校物語」

監督が白山高校に赴任した時、野球部員は2年生が1人、1年生が1人の2人だけで、荒れ放題のグラウンドの草むしりから始めたそうだ。だが、夏の三重大会を前に学校を訪れた僕が目にしたのは、小石まで拾われて整えられたグラウンドと、少ないながらも整頓された道具類だった。そして、そこで練習をしている野球部員は、全員をあわせても10人ほどだった。

今年の話ではない。6年前の夏、僕が白山高校を取材した時の風景だ。
当時の取材ノートを読み返してみた。
特に2人の3年生が印象に残っている。エースで4番を務めた選手と、キャプテンで1番、内野の要ショートを守っていた選手だ。
地元中学出身のエースは、中学生の時に病気でお父さんを亡くしていた。高校で野球を続けていいか悩んだが、お母さんが背中を押してくれたと話してくれたことを覚えている。グラウンドの片隅、庇(ひさし)のないベンチの脇に積まれたコンクリートブロックに、並んで腰かけて話を聞いた。
卒業後は就職すると話したキャプテンは「夜間学校に通って、教師になって高校野球の指導者になるのが夢」と語っていた。僕のノートには「言葉に野球への愛が溢(あふ)れている」とメモしてあった。
キャプテンが白山高校への進学を決めたのは、当時の監督の指導を受けたいと思ったからだった。その監督とは、佐藤良さん。菰野高校でコーチを務め、プロ野球で活躍する西勇輝投手を指導した佐藤監督は、取材の4年前に白山高校に赴任し、たった2人の部員しかいなかった野球部を育てていた。
この年、2012年の三重大会の1回戦で、白山高校は上野高校と対戦する。上野高校の監督は、今年、白山高校を甲子園に導いた東拓司監督だった。
結果は0-9のコールドゲームで白山高校は敗れた。スコアを見ると、エースはヒット10本を浴びながらも、4番としてレフト前ヒットを打って意地を見せていた。
その後、佐藤監督が転任し、東監督が就任することになる。
白山高校のグラウンドは、面積だけは強豪校の専用グラウンドに引けを取らない広さがある。ただ、少人数の部員で管理するには、その広さが仇(あだ)になる。目の届かないところもあったのだろう。東監督が就任した時には、元の草の生えたグラウンドに戻っていたようだ。

その後、再び一からチームを作った東監督については、6年前の取材ノートに、菰野高校を30年にわたって指導する戸田直光監督とのエピソードが書かれていた。
戸田監督は、菰野高校を強豪校にした監督だが、就任当初は部員集めに苦労した経験を持つ。大学の後輩にあたる東監督は、高校野球の指導者になった当初、戸田監督のもとを訪ね、チーム作りや指導法について学んだという。
今年の大会の3回戦で、白山高校は、シード校の菰野高校を破った。選手たちが「菰野に勝って甲子園を意識した」と口をそろえて答える、優勝に必要な勢いを掴(つか)んだ試合だった。

今年の決勝戦の中継で、解説の松崎敏祐さんが涙をこらえきれなくなる場面があった。東監督は、松崎さんの久居高校時代の教え子だ。松崎さんは「黒潮打線」で知られた木本高校で野球部の監督を務め、その後、久居高校と津高校で野球部の監督を務めた。指導者として甲子園にはあと一歩届かなかったが、教え子が夢をかなえてくれたことになる。思わず言葉を詰まらせた松崎さんだが、調べてみると白山高校にも縁があった。
白山高校が過去最高となるベスト8に進んだ61回大会の準決勝で対戦したのが、松崎監督の木本高校だったのだ。当時の白山高校の監督は樋口匡伸さんで、のちに解説者を務めてもらった。白山高校の優勝シーンを見ながら、僕は三重県の高校野球を盛り上げてきた往年の監督たちの若き日の姿を思い浮かべていた。

全国ネットのテレビでは、連敗から一転、甲子園出場を果たした下克上の「物語」が伝えられている。その中で、ひとつひとつの敗戦が取り上げられることはない。でも僕は、ずらりと並んだ連敗の文字の中に、懸命に頑張っていた白山高校の球児たちの姿が見えてしまうのだ。おそらく、僕が取材をしたエースやキャプテンも、甲子園で躍動する後輩たちに声援を送ることだろう。そして、現役の選手たちは、そんな先輩たちの思いも背負って甲子園に行く…。

これが、巷間語られることはない、僕が見た白山高校の物語。どこにでもある、爽やかに敗れていったチームを実況した思い出だ。

8/4(土) 18:30~ 『がんばれ!白山高校~100回目のキセキ~』